まゆみの花
A Memory Unfolds with Winter’s First Light


最初にその名前を聞いたのは、十一月の半ば、花屋の前だった。
店先に置かれた枝ものを眺めていると、年配の店主が、
「これは、真弓。まゆみって読むんですよ」
と声をかけてくれた。
その名前を聞いた瞬間、忘れかけていた思い出が静かに息を吹き返した。
昔の彼女の名前も、まゆみだった。
思い出すのは、クリスマスの前に交わした、いくつかの短い会話。
寒さに強いのに、冬が近づくと急に遠くを見る癖。
決めていたわけでもないのに、どこかへ向かう準備をしているような横顔。
あの日、彼女がぽつりと言った。
「殻が割れたら、中から赤い実が出てくるんだよ。真弓って、そういう木なんだって」
その言葉の意味を、当時の自分はほとんど分かっていなかった。
クリスマスの夜、ふたりで選んだスパイラルに、スパークリングワインを一本そっと差し込んだ。
「いつか、これを持ってどこか行こう」と彼女が言ったのを覚えている。
けれどその“いつか”は来なかった。
彼女は本当に殻を割って、新しい世界へ旅立っていった。
音も立てず、季節が変わるみたいに。
何も言わない別れほど、時間が経ってから効いてくるものはない。
花屋で包んでもらった真弓の枝を持って帰り、久しぶりにスパイラルのファスナーを開けた。
旅のために選んだはずの器に、今は旅立っていった人の名前の花を生ける。
黒革の影のなかで、小さく赤い実が灯っていた。
あのとき彼女が見ていた“新しい世界”の色が、ようやくこちら側にも届いた気がした。
